クニノブです。ウィルコム社員ブログを担当するようになって早2ヵ月。
前回のエントリー『ウィルコムの色々なアンテナ&基地局 "自然界との戦い!?"』を作成し、公開したのがつい最近のことのように感じるのですが。。。早くも次のエントリーを書くタイミングとなりました。今年も残すところあと1週間あまりとなり、皆さまもお忙しい毎日を過ごされているかと思いますが、がんばって書きたいと思います。
さて、先日倉庫の片付けをしておりましたら、何とも懐かしいものを発見!
我々アンテナ部隊の歴史を知るうえで一番重要なもの。。。。。。。そうです、過去のエリアマップを見つけたのです。
そんなわけで、初回のエントリーで『ウィルコム「基地局」の歴史』をご紹介させていただきましたが、今回は『エリア』について歴史を振り返ってみたいと思います(ごくごく一部ですが。。)。
まずは以下のエリアマップをご覧ください。
前回のエントリー『ウィルコムの色々なアンテナ&基地局 "自然界との戦い!?"』を作成し、公開したのがつい最近のことのように感じるのですが。。。早くも次のエントリーを書くタイミングとなりました。今年も残すところあと1週間あまりとなり、皆さまもお忙しい毎日を過ごされているかと思いますが、がんばって書きたいと思います。
さて、先日倉庫の片付けをしておりましたら、何とも懐かしいものを発見!
我々アンテナ部隊の歴史を知るうえで一番重要なもの。。。。。。。そうです、過去のエリアマップを見つけたのです。
そんなわけで、初回のエントリーで『ウィルコム「基地局」の歴史』をご紹介させていただきましたが、今回は『エリア』について歴史を振り返ってみたいと思います(ごくごく一部ですが。。)。
まずは以下のエリアマップをご覧ください。
これは、当時のDDI東京ポケット電話が首都圏で開業した1ヵ月後、1995年8月のエリアマップです(東京23区のみ)。
水色で塗られているところが当時の通話可能なエリアになっているのですが、今振り返ってみると、エリアが全く出来ていませんね(苦笑)。全体的に使える所がまばらで、今のような面的カバーが出来ていません。特に住宅街のエリアが酷く、使えるエリアのほうが少ない状況です。
思い返すと当時はアンテナを設置することに手が一杯で、周り(エリア)を見渡す余裕が無かったのです。
開業の前、1993~1994年にかけて東京と札幌でPHSサービスの実用化実験を行いましたが、数十局レベルの設置だったため、アンテナを"たくさん設置する"ということでは実質この時が初めてでした。
数十局アンテナを設置するのと、数千局を一気に設置するのでは、頭では勿論『数が多いので大変だ』と分かっていましたが、実際にやってみると、とんでもなく、大変だったのです。そんな当時の混乱振りが、思い出されるエリアマップです(因みに、その当時私は東京ではなく他の地方を担当しておりまして、東京には応援で来ておりました)。
元々、PHSのコンセプトは『家庭のコードレス電話の子機をそのまま外に持ち出して、街角では携帯電話として使える。』というものでした。
以下のようなイメージですね。
このため当初アンテナ部隊では、このコンセプトにあわせたエリアを作ればよいと思っていました。街角で使えるようにすれば。。。。。でも、実際にお客さまからは「いつでも、どこでも電話が使いたい!」と、多くのご要望をいただいたのです。まぁ、今考えると当たり前ですよね。
そこから良いエリアを作る、日々の格闘が始まったのです。
次のものが、上の半年後、1996年2月首都圏版エリアマップになります。
水色で塗られているところが当時の通話可能なエリアになっているのですが、今振り返ってみると、エリアが全く出来ていませんね(苦笑)。全体的に使える所がまばらで、今のような面的カバーが出来ていません。特に住宅街のエリアが酷く、使えるエリアのほうが少ない状況です。
思い返すと当時はアンテナを設置することに手が一杯で、周り(エリア)を見渡す余裕が無かったのです。
開業の前、1993~1994年にかけて東京と札幌でPHSサービスの実用化実験を行いましたが、数十局レベルの設置だったため、アンテナを"たくさん設置する"ということでは実質この時が初めてでした。
数十局アンテナを設置するのと、数千局を一気に設置するのでは、頭では勿論『数が多いので大変だ』と分かっていましたが、実際にやってみると、とんでもなく、大変だったのです。そんな当時の混乱振りが、思い出されるエリアマップです(因みに、その当時私は東京ではなく他の地方を担当しておりまして、東京には応援で来ておりました)。
元々、PHSのコンセプトは『家庭のコードレス電話の子機をそのまま外に持ち出して、街角では携帯電話として使える。』というものでした。
以下のようなイメージですね。
このため当初アンテナ部隊では、このコンセプトにあわせたエリアを作ればよいと思っていました。街角で使えるようにすれば。。。。。でも、実際にお客さまからは「いつでも、どこでも電話が使いたい!」と、多くのご要望をいただいたのです。まぁ、今考えると当たり前ですよね。そこから良いエリアを作る、日々の格闘が始まったのです。
次のものが、上の半年後、1996年2月首都圏版エリアマップになります。

緑色に塗られているところが当時の通話可能なエリアとなっていて、黄緑色に塗られているところは間もなく通話可能になるエリアをあらわしています。比較すると、ものすごい勢いでエリアを整備したのが分かっていただけると思います。
たった半年で、23区内は、ほぼ面的カバーがされており、東京西部においてもかなりのエリアが出来上がっています。
これは、開業当初に出たさまざまな問題点を、すぐに一つ一つ改善することによって、短期間で多くのアンテナを設置する事が出来るようになったためです。今思えばこの時に、短期間でたくさんのアンテナを設置するやり方の基礎が出来たのだと思っております。
そして、今のエリアがあるのも、当初の失敗があったからだと、私は信じております。
その後3ヵ月遅れて、地方都市でもPHSサービスが順次開始されていったのですが、東京でおきた問題はほとんど発生せずに無事開業を迎えることが出来ました。
そして時は一気に10年以上過ぎます。
2008年のウィルコムの首都圏版エリアマップ(一部抜粋)ですね。
これまでご紹介したエリアマップと体裁が違うので比較しにくいですが、面的な部分でも厚みの部分でも、開業当初とは比べ物にならないエリアになっていると思います。
また、現在は紙のエリアマップだけでなく、ウィルコムのホームページ上で画像データ化された最新の「サービスエリアマップ」を確認することができますし、ウィルコムが全国に設置してある約16万のアンテナ状況をピンポイントで確認することができる「エリア確認ツール」もございます。まだまだ至らない部分もあるかもしれませんが、アンテナ部隊の格闘の成果をご覧いただければと思います。
そして、アンテナ部隊の戦いは、これからも続くのです。(ん?何の戦いだ??)
最後にご報告ですが、先日12月19日(金)、無事にWILLCOM CORE(ウィルコムコア)の基地局の免許をいただくことが出来ました。
今後は2009年のサービス開始に向けて、現行PHSのエリアとともに、WILLCOM COREも良いエリアが作れるようにがんばりたいと思いますので、皆さま引き続きよろしくお願いします。
たった半年で、23区内は、ほぼ面的カバーがされており、東京西部においてもかなりのエリアが出来上がっています。
これは、開業当初に出たさまざまな問題点を、すぐに一つ一つ改善することによって、短期間で多くのアンテナを設置する事が出来るようになったためです。今思えばこの時に、短期間でたくさんのアンテナを設置するやり方の基礎が出来たのだと思っております。
そして、今のエリアがあるのも、当初の失敗があったからだと、私は信じております。
その後3ヵ月遅れて、地方都市でもPHSサービスが順次開始されていったのですが、東京でおきた問題はほとんど発生せずに無事開業を迎えることが出来ました。
そして時は一気に10年以上過ぎます。
2008年のウィルコムの首都圏版エリアマップ(一部抜粋)ですね。これまでご紹介したエリアマップと体裁が違うので比較しにくいですが、面的な部分でも厚みの部分でも、開業当初とは比べ物にならないエリアになっていると思います。
また、現在は紙のエリアマップだけでなく、ウィルコムのホームページ上で画像データ化された最新の「サービスエリアマップ」を確認することができますし、ウィルコムが全国に設置してある約16万のアンテナ状況をピンポイントで確認することができる「エリア確認ツール」もございます。まだまだ至らない部分もあるかもしれませんが、アンテナ部隊の格闘の成果をご覧いただければと思います。
そして、アンテナ部隊の戦いは、これからも続くのです。(ん?何の戦いだ??)
最後にご報告ですが、先日12月19日(金)、無事にWILLCOM CORE(ウィルコムコア)の基地局の免許をいただくことが出来ました。
今後は2009年のサービス開始に向けて、現行PHSのエリアとともに、WILLCOM COREも良いエリアが作れるようにがんばりたいと思いますので、皆さま引き続きよろしくお願いします。



